家事を30個近くやめた話は前に書いたけど、「で、やめた後って何してるの?」という部分を書いていなかった。
この記事では「家事をやめてよかった」という話より、「やめた後の24時間が実際どう変わったか」を時系列で書く。変化は思ったより地味だったし、浮いた時間の使い方も、あまり参考にならないかもしれない。それでも正直に書く。
この記事でわかること:
- やめる前後の平日24時間の比較(時系列)
- 浮いた時間に実際何をしているか(正直な実情)
- 「もっと有効活用しなきゃ」という焦りとどう折り合いをつけたか

やめる前の夜:21時帰宅から寝るまでが全部家事だった
3年前の平日の夜、だいたいこんな感じだった。
21:00 帰宅
21:10 着替え、洗濯機を回す
21:20 夕食の準備(自炊の場合)
22:00 食べ終わり、洗い物
22:30 洗濯物を干す
22:45 お風呂
23:15 お風呂上がり、洗面台をさっと拭く、翌日の準備
23:45 やっと自分の時間
24:30 就寝
21時に帰ってきて、自分の時間が45分。しかも「疲れているからやりたいことができない」という状態で、だいたいスマホを見たままウトウトしていた。
洗い物を溜めた日は洗濯を翌日に回して、「また溜まっていく」という罪悪感が積み重なる。週末になると「平日にできなかった分」を取り返そうとして、土曜の午前中が終わる。
「これが普通」と思って3年過ごしたけど、今思い返すと相当しんどかった。
週末も「溜まった家事」で潰れていた現実
平日の帰宅後の家事だけじゃなくて、週末も似たようなことになっていた。
土曜日、起床後:
・まとめ洗い(平日にできなかった分)
・買い出し(近所のスーパーとドラッグストアを2件回る)
・掃除(ざっと全体)
・アイロンがけ(翌週分)
これで午前中が終わって、午後がようやく自分の時間——と思ったら、なんか疲れていてNetflixを見ながら寝てしまう、というのが週末の定番だった。
「休日に充実したことがしたい」という気持ちはあるのに、家事の後では気力が残っていない。これがずっと続いていた。NHKの生活・家事の時間に関する調査でも、有職女性の家事・育児・個人時間のバランスが課題として指摘されている。
やめた後の平日24時間 – どこで何が変わったか
家事を複数やめて、今の平日の夜はこうなっている。
帰宅から就寝まで、時系列で書く
21:00 帰宅
21:10 着替え、洗濯機を回す(乾燥機まで回すので「干す」はなし)
21:20 夕食(買ってきた惣菜か冷凍食品。自炊は週2〜3回)
21:50 洗い物(プレート1枚と箸くらい。2〜3分)
22:00 お風呂
22:30 お風呂上がり。翌日の準備
22:45 自分の時間
24:00 就寝
やめる前と比べると、「自分の時間」が23:45スタートから22:45スタートに変わって、1時間前倒しになった。さらに疲弊具合が全然違う。前は23時台に「ようやく終わった……」という消耗感があったけど、今は22時45分に「まあ一段落」という感じで夜が始まる。
時間にすると1時間くらいの差だけど、体感は全然違う。
ただ正直に言うと、最初の2〜3週間は「やめていいのかな」という不安があった。洗い物をちゃんとしていないとか、夕食をまともに作っていないとか、「ずぼらすぎる」という感覚。それは徐々に薄れていったけど、すぐには消えなかった。
週末の変化 – 「やること」が減って気づいたこと
今の週末の午前中はこうなっている。
土曜日、起床後:
・まとめ洗い(乾燥機なので「干す」「畳む」がほぼなし)
・買い出し(週1回、ネットスーパーを活用してスーパー1件のみ)
・掃除(トイレとキッチンだけ。全体は月1〜2回)
これで1時間強。11時前には終わる。
最初は「午後が空いてる、なにかしなきゃ」と思った。でも実際は「なにもしない」を選んだ。コーヒーを飲んで、本を読んで、またコーヒーを飲む。それだけの週末。特に充実していないし、有意義でもない。でもそれがよかった。

浮いた時間に私がしていること – 正直に全部書く
「家事が減った→浮いた時間でスキルアップ・副業・趣味の充実」みたいな話を期待していたとしたら、ちょっと違う。
有意義なことばかりじゃない、という話
浮いた時間に最初にやろうとしたのは英語の勉強だった。仕事でも使えるし、ずっとやりたかったから。アプリを入れて、「毎晩22時から30分やる」と決めた。
3日続いた。
4日目に残業があって、帰宅が22時半になったら一気に崩れた。それ以来アプリを開いていない。
次に「週1回映画を観る習慣をつけよう」と思った。これは割と続いている。ただ観ている内容は全員眠れるくらいのどうでもいい映画で、「映画を観た」というより「映像が流れている中で寝た」に近い。充実というより、惰性に近い。
本を読む気力がある夜は本を読む。そういう夜は週に2回くらいある。残りの5日は、スマホをぼーっと見ている。
正直に言うと、浮いた時間の使い道に「劇的な変化」はなかった。
結局「ぼーっとする」が一番ありがたかった
それでも、家事をやめてよかったと思っている。
理由は「ぼーっとできる時間ができた」から。これが一番ありがたかった。
以前は22時45分から30〜40分の「自分の時間」があったけど、そのほとんどを「頑張って有意義なことをしなきゃ」という焦りで消費していた。英語を勉強しようとして疲れて途中でやめる、本を開いて2ページで寝る、ということをしていた。
今は「今日は特に何もしなくていい夜」というのが週に数回ある。それがあるだけで、次の日の朝が少し違う気がする。気のせいかもしれないけど、たぶんそうじゃないと思っている。
総務省の社会生活基本調査でも、生活時間の満足度には「拘束時間の減少」と「主観的な余裕」が関係することが示されているが、要するに「自分がコントロールできる時間があるかどうか」が大事なんだと思う。家事をやめてよかったのは、スキルアップできたからじゃなくて、「今日は何もしなくていい」と言える日が増えたからだった。
浮いた時間に「やりたいことリスト」を作ったら逆効果だった話
余談だけど、家事をやめてすぐの頃に「浮いた時間にやること」をリストアップしたことがある。英語、読書、ストレッチ、絵を描く、料理のレパートリーを増やす——そんなリストを作って、「これで充実した夜が始まる」と思っていた。
見事に機能しなかった。
疲れて帰宅した後に「今日はリストの何をやろう」と考えること自体がストレスになった。「英語をやらなかった」「ストレッチもまた飛ばした」という小さな罪悪感が積み重なって、家事の罪悪感の代わりに「やりたいことリスト」の罪悪感が生まれた。
やめた家事の代わりに、別の義務を作っていた。
これに気づいてから、リストを捨てた。「浮いた時間は義務なし」と決めた。そうしたら初めて「何もしなくていい夜」が出現した。
リストが悪いわけじゃないと思う。ただ、仕事で疲弊している日常の中に「やること」を追加しても続かない。まず「やらなくていい時間」が先に必要だった。
家事をやめても「申し訳なさ」が残る問題
一つ正直に書いておくと、家事をやめてしばらく経っても「申し訳なさ」みたいな感覚は残っている。
洗い物を翌朝に回した夜、「まあいいや」と思いつつ、どこかで「きちんとやれる人はちゃんとやるんだろうな」という感覚がある。料理をしなかった日に、「また買ってきてしまった」という後ろめたさがある。
これは完全には消えない。ただ前より薄くなった。
「完璧にやらない」と決めたはずなのに、「完璧にやれなかった感」は根強く残る。それと折り合いをつけながら続けているのが今の状態で、「やめた=スッキリ解決」ではなかった。これは前もって言っておきたかった。
「申し訳なさ」が消えないのは、たぶん「家事をちゃんとやれる人が正しい」という価値観が刷り込まれているからだと思う。仕事も家事も完璧にやるのが「大人として当然」みたいな空気がどこかにある。そういう空気を内面化した結果、やめたはずの家事への罪悪感が消えない。
でも、別にいいと思い始めた。申し訳なさが残っていても、実際に体は楽になっているし、続けられている。気持ちと行動が完全に一致しなくても、行動の方向が正しければ少しずつ変わる。
競合ブログを読むと「家事を減らしたら劇的にQOLが上がった!」という話が多い。自分はそこまでドラマチックな変化はなかった。でも、地味に、ちょっとずつ、楽になっているのは本当のことで、その「ちょっとずつ」が3年積み重なると結構違う。

まとめ:時間が浮いても、すぐに「充実」にはならない
家事をやめた後の24時間を書いた。変化を整理するとこうなる。
- 平日夜:自分の時間が約1時間前倒しになった。消耗感が減った
- 週末:午前中が1〜2時間早く終わるようになった
- 浮いた時間の使い道:有意義なことより「ぼーっとする」が多い。それがよかった
「家事をやめたら時間ができる」は本当。でも「家事をやめたら充実した時間が増える」は、必ずしもそうじゃなかった。浮いた時間の使い方は、家事をやめる前と大して変わらなかった。
それでも、「今日は疲れたからもう何もしなくていい」と言える夜が増えたことは、体感として確実に違う。大きな変化じゃないけど、これが積み重なると結構違う。
やめた家事の具体的なリストは別の記事に書いているので、「何をやめればいいかわからない」という場合はそちらから読んでほしい。
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