「今日は買って帰る」を罪悪感なく選ぶ——外食・コンビニへの許し方

ずぼら食生活

コンビニの袋をキッチンに置いたとき、「また今日も自炊できなかった」と思っていた時期がある。

料理 疲れた 一人暮らし、で検索してここに来た人は、たぶん似たような感覚を持ったことがあると思う。外食やコンビニを選んだ帰り道に、少しだけ後ろめたい気持ちになる、あれ。

この記事は、その罪悪感がどこから来るのかを掘り下げて、なくすまでの経緯を書いている。

この記事でわかること:

  • 外食・コンビニを選ぶ「後ろめたさ」の正体
  • 「今日は買って帰る」を選択肢として正当に扱えるようになった考え方
  • 罪悪感が消えた後に変わったこと
convenience store night tired commute
Photo by Danijel Malinovic on Unsplash

一人暮らしで料理に疲れた日、どれくらいある?

フルタイム勤務をしていると、帰り道の気力の残量はバラバラだ。

余裕があれば食材を買って帰る気になる。でも残業が続いた週、22時を過ぎた帰宅が続く週は、スーパーに寄る体力すらない。

私の平日の実態を正直に言うと、週5日のうち「ちゃんと自炊する」のは2〜3日あれば多いほうだった。残りの2〜3日は、コンビニか近所の中華か、仕事帰りの定食屋か。それが現実だった。

で、最初はそれが少し後ろめたかった。

フルタイム勤務の平日と「やる気の残量」

残業のあった夜はとにかく帰宅してから何もしたくない。

コートを脱いで、靴を脱いで、それだけで消耗している感覚がある。そこから「さて夕食を作ろう」という気持ちになるには、それなりなエネルギーが要る。

ただ、お腹は空いている。どうにかしなきゃいけない。

一番楽な選択は、コンビニか外食だ。でも当時の私には、その選択をするたびに「ちゃんとしていない自分」という感覚がついてきた。

外食・コンビニを選ぶときの罪悪感はどこから来るのか

しばらく考えてみたら、答えはわりと単純だった。

「自炊しない=怠けている」という思い込みがあった。

「自炊しない=怠け者」という思い込み

いつからそう思うようになったのかは、よくわからない。

家庭科で習ったのか、SNSで見た「ちゃんとした食生活」のイメージが積み重なったのか。「自炊している人は偉い」「外食ばかりでは体に悪い」「コンビニ飯は栄養が足りない」という漠然とした刷り込みがあった。

でも実際のところ、それって誰が言っているのか。

誰も「あなたは自炊しなければならない」とは言っていない。言っているのは自分自身だった。

実際に罪悪感を持っていたときの私の状態

コンビニの袋をキッチンに置いたとき「また今日もだめだった」と思っていた頃、食事の時間は割と憂鬱だった。

食べながら「明日こそ自炊しよう」と思う。翌日も22時に帰宅して、また「無理だ」となってコンビニに寄る。

この繰り返しがじわじわとしんどくなっていた。食べることが楽しくなくなっていた。

ぶっちゃけ、これは本末転倒だと気づいた。食事は生きるためのものなのに、何かを果たせなかった証拠になっていた。

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Photo by Jon Tyson on Unsplash

「今日は買って帰る」を正式な選択肢にする

変わったのは、「コンビニに寄ることを選択肢から外さない」と決めた時だった。

事前に決めておく、というのが重要だった。「今日は残業があったから買って帰ろう」という決断を、帰り道でするのではなく、最初から「そういう日もある」と枠組みの中に入れる。

選択肢として最初から組み込むと何が変わるか

変わったのは罪悪感ではなく、決断のタイミングだった。

「自炊しなきゃいけないのにできなかった」という状況から「今日はコンビニにする日だ」という状況になった。結果は同じコンビニ飯でも、気持ちがまったく違う。

まあ、最初は半信半疑だった。「言葉を変えただけでは?」という気もした。でも続けてみると、食事への憂鬱が薄れた。明日の自炊に変なプレッシャーもかからなくなった。

コンビニ・外食で「まあこれで十分」を実現する基準

コンビニに行くとき、私が一応意識することが一つある。

「何かたんぱく質を選ぶ」だけ。

豆腐でも、ゆで卵でも、肉まんでも、からあげでもいい。炭水化物だけにならないように、何か一つだけ意識する。それだけで「まあこれで十分」という気持ちになれる。

外食の場合はもっと楽で、定食屋や中華屋のセットメニューを選べばそれなりにバランスが取れる。「今日は食べた」という事実があればいい。

ちなみにコンビニ食の栄養バランスについては、厚生労働省も複数品目を組み合わせることで一定のバランスが取れると案内している。「コンビニ=栄養がない」は必ずしも正確ではない。また、農林水産省の「食事バランスガイド」によると、主食・主菜・副菜の3点がそろっていれば食事としての基本は押さえられる。コンビニでも弁当+豆腐のような組み合わせでそれは達成できる。

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Photo by Unsplash

罪悪感が消えた後に気づいたこと

「今日は買って帰る」を選択肢に組み込んでから、予想外のことに気づいた。

食材の廃棄が減った。

前は「明日こそ自炊しよう」と食材を買い込んでは使い切れず、週に1〜2回は冷蔵庫の奥で野菜が消えていた。月に計算すると1,000円以上は無駄にしていた感覚がある。

コンビニに行く日を明示的に決めてから、買い物の量が減って、廃棄もほぼなくなった。コンビニ飯のほうが「節約になっていない」と思っていたが、現実には逆だったかもしれない。

とはいえ、これはあくまで私の場合の話だ。コンビニと自炊のどちらが家計的に得かは人によって違う。

もう一つ気づいたのは、食事が楽しくなったこと。

罪悪感と一緒に食べていたときより、「今日はこれでいい」と思いながら食べるほうが、おいしく感じる。食事を楽しめるかどうかは、食べるものより食べるときの気持ちのほうが影響している気がする。

「今日は買って帰る」を選ぶのが合わない日もある

正直に言うと、コンビニや外食を選んだことを後悔する日もある。

たとえば、体調が悪い日に温かいものを食べたくて、でもコンビニのホットスナックしかなかったとき。「これじゃない感」がある。あるいは、お気に入りの定食屋が閉まっていて、仕方なく選んだチェーン店でなんとなく満たされなかった夜。

そういう日はある。全部うまくいくわけではない。

ただ、それは「やっぱり自炊するべきだった」という結論には直結しない。ただその日の選択がはまらなかっただけで、翌日また考えればいい。

失敗した選択を「だから自炊しなきゃ」という方向に持っていくのではなく、「あの日のコンビニはいまいちだった、次はあの定食屋にしよう」という程度に処理できるようになった。

外食・コンビニを選ぶことへの私なりの落としどころ

結論らしい結論は特にない。

「今日は買って帰る」という選択を、罪悪感なく選べるようになった。それだけだ。自炊をやめたわけではないし、外食を無条件に肯定しているわけでもない。

週5日のうち、2〜3日は買って帰る日がある。あとは冷蔵庫にあるものを使ったり、余裕があれば自炊する。そのバランスは週によって違う。

「ちゃんとしなきゃ」という感覚がなくなると、食事の選択がずっと軽くなった。疲れた日の帰り道に「今日はコンビニでいいや」と思えるだけで、帰宅後の気持ちがちょっと楽になる。

料理 疲れた 一人暮らし、という状況にいる人に伝えたいのは、「疲れているときに無理に自炊しなくていい」という話よりも、「疲れているときに外食やコンビニを選ぶことに罪悪感を持たなくていい」ということだ。

選んだ事実は同じでも、罪悪感を持つかどうかで、その後の気持ちがかなり違う。


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