同じものしか食べないことのメリット——食の意思決定を手放した話

ずぼら食生活

一人暮らしの献立を固定してから3ヶ月以上、夕食のパターンがほぼ同じだった。

意図してそうしたわけではなかった。ただ、疲れているときに「何食べよう」を考えるのが億劫で、前回おいしかったものをまた選んでいた。それが積み重なって、いつのまにか固定化していた。

献立を固定するメリットで検索してここに来た人は、たぶん「毎日同じでいいのかな」という感覚を持ちながら、でも実際のところ楽だし、もう少し正当化したい、という気持ちがあるんじゃないかと思う。

この記事でわかること:

  • 食の意思決定を手放した経緯と、そこで気づいたメリット
  • 「飽きないの?」という疑問への正直な答え
  • 意外とあったデメリットも正直に書く
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Photo by Yeh Xintong on Unsplash

「今日の夕食、何にしよう」を毎日考えていた頃の話

数年前、帰宅するたびに「今日は何を食べよう」を考えることが苦痛になっていた時期がある。

スーパーに寄っても何を買えばいいかわからない。冷蔵庫を開けても、使い切れるかどうかわからない食材が並んでいる。結局、あれこれ買い込んで半分を使い切れずに廃棄する、というサイクルを繰り返していた。

料理する気力がある日は料理する。ない日は外食かコンビニ。それはいいとして、「何を食べるか」を決めること自体にエネルギーがかかっていた。

残業でヘトヘトな22時の帰宅後に、「今日は何にしよう」を考えるのは、地味にきつかった。

同じものを食べ続けることへの後ろめたさ

固定化が進んでいった時期、最初は少し後ろめたかった。

「一人暮らしなんだから、ちゃんといろいろ食べなきゃ」という感覚がどこかにあった。SNSで見る「映える自炊」とは程遠い、毎週同じ豆腐と卵とスーパーの惣菜。「これでいいのかな」とは思った。

「飽きないの?」と聞かれるたびに感じていたこと

職場の同僚に、ある時期「最近ずっと同じもの食べてるでしょ」と言われた。なんでわかるのか謎だが、お弁当のメニューが固定されていたらしい。

「飽きないの?」と聞かれて、少し考えた。

正直なところ、飽きていなかった。というか、飽きる余裕がなかった、という表現のほうが正確かもしれない。疲れているときにおいしいと感じるものが大体決まっていて、それを選んでいるだけだった。

「飽き」は、食事に対して何かを期待しているときに来る。期待がないとき、食事は「食べた」という事実で完結する。

食の意思決定を手放してみてわかったメリット

意図せず固定化が進んで、気づいてみると、いくつかのことが楽になっていた。

帰宅後の「考える時間」がなくなる

最初に気づいたのはこれだった。

「今日は何にしよう」を考えなくていいだけで、帰宅後の動線がスムーズになった。コートを脱いで、キッチンに直行して、いつものものを用意する。迷いがない分、体の動きが速い。

これはわりと大きかった。疲れているときの「迷う時間」は、ただでさえ少ないエネルギーを使う。その消耗がなくなった。

人が一日に行う意思決定の数には限りがある、という話がある。食事の選択もその一つだとすると、毎晩夕食を考えることは、帰宅後のわずかなエネルギーを削る作業だったかもしれない。

買い物が5分で終わるようになった

食べるものが大体決まっているので、買うものが決まる。

スーパーで迷わなくなった。豆腐の売り場に行って豆腐を取る。卵を取る。今週の総菜コーナーから一つ選ぶ。それだけ。

以前は30分かかっていた買い物が、5分もかからなくなった。品出し待ちをするでもなく、惣菜コーナーで全品確認するでもなく、目的のものだけ取って終わり。

食費の予測が立てやすくなった

これも地味に効いた。

毎回違うものを食べていたときは、「今月いくら食費に使ったか」がよくわからなかった。食材の廃棄もあって、月の食費が1万5千円前後なのか2万円なのか、ざっくりとしか把握できていなかった。

固定化してから、1週間の食費がだいたい3,000〜4,000円の範囲に収まるようになった。予測が立つと計画が立てやすい。

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Photo by Brooke Cagle on Unsplash

デメリットも正直に言う

良いことだけ書くのはフェアじゃないので、困ったことも書いておく。

栄養の偏りが気になることがある。 いつも同じ食材だと、特定の栄養素が足りているのかどうか不安になる。私は豆腐と卵を軸にしているのでたんぱく質はそれなりだが、野菜の多様性は乏しい。解決策として、週に1〜2回は総菜コーナーでいつもと違うものを選ぶようにしている。完全固定よりも、8割固定ぐらいが現実的だと思う。

外食が減る。 これはメリットでもあるが、たまに「外に食べに行く気力」が湧きにくくなる感覚がある。食事に対して「何かを楽しもう」というモードが薄れる。

人に話すと「飽きないの?」と聞かれる。 これは別にデメリットではないが、少し面倒だ。説明するのが難しい。

固定化した食事に変化をつけたくなったとき

完全に同じものを食べ続けることが合わなくなる時期は来る。

私の場合は3ヶ月ぐらいで「そういえばほかのものも食べたい」という気持ちが出てきた。でもそれは「固定化が失敗した」ということではなかった。「今週は少し変えてみよう」という、ゆるい変化の欲求だった。

固定化は「絶対変えない」というルールではなくて、「基本はこれ」という軸の話だ。軸があると、たまに外れても戻れる。

その気持ちが出てきたときにやったことは、スーパーの総菜コーナーを少しだけ探索することだ。いつもと違う惣菜を一品だけ加える。それだけで、食事のバリエーションを作り直すのとはまったく違うコストで「なんか違うもの食べた感」が得られた。

外部リンクとして参考になるのは、農林水産省が発信している「食事バランスガイド」(農林水産省で確認できる)だ。固定化した食事でも基本的な食品群(主食・主菜・副菜)がそれなりにカバーできているかどうか、1度だけ確認しておくと安心できる。「全部そろえなきゃ」という話ではなく、自分の食事パターンを把握するためだけに。

また、厚生労働省の「e-ヘルスネット」(厚生労働省からアクセスできる)でも、食事の多様性に関する情報がある。一人暮らしの食事について調べるときに参考になる程度に見ておけばいい。

「同じものしか食べない」への私の今の答え

なんだかんだ、固定化は続いている。

「毎日同じでいいの?」という感覚は、最初の数週間だけだった。案外、慣れる。そして慣れた先には、食事について余計なことを考えなくていい、という静けさがある。

たまに外食に行ったとき、そこそこのものがおいしく感じる。固定化していたから感覚がリセットされていた、ということかもしれない。

全部解決したわけではないし、これが最善とも思っていない。でも今のところ、私にはこれで十分だ。

食の意思決定を手放したことへの、率直な評価

「食の意思決定を手放す」と聞くと、少し極端に聞こえるかもしれない。

実際には、「毎日の夕食についての決断を省エネにした」ということだ。何を食べるかを考えない分、仕事のことを考えたり、休む時間に使えた。

地味な変化だが、毎日のことだから積み重なる。帰宅後の「今日は何にしよう」を省いた先に、少しだけ余裕が生まれた。その余裕を何に使うかは人それぞれだが、私にとっては食事より大事なことがあった。

献立 固定 メリットという検索をした人に伝えたいのは、「同じものしか食べないことへの後ろめたさは不要」ということだ。それは節約でも健康管理でもなく、ただ自分の生活コストを下げる合理的な選択として機能している。


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