自炊を続けるコツをいくつも試した時期がある。
作り置き、時短レシピ、献立の固定化。全部試したし、一時的には効いた。でも、続かない時期は必ず来た。そのたびに「なぜ私は続けられないのか」と思っていた。
「続かないのは意志力の問題だ」と思っていたこともある。でも意志力を鍛えようとすればするほど、反動で崩れる日が増えた。「今週こそは毎日自炊する」と決めた月曜日に、木曜日にはもう外食している。そんな繰り返しだった。
答えは、意外なところにあった。コツや仕組みの問題ではなく、「食への期待値が高すぎる」という問題だった。
「今日はおいしくなくていい」と決めた日から、自炊 ハードル 下げる 一人暮らし の問題が、じわじわ消え始めた。
この記事でわかること
- 自炊のハードルが下がらない本当の理由
- 「おいしくなくていい日」を作ることの効果
- 食への期待値を変えるための具体的な考え方

自炊のハードルが下がらない本当の理由
自炊を続けようとするたびに挫折する人は、たいてい「続ける技術」を磨こうとする。時短レシピを覚える、作り置きを習慣にする、献立を固定する。
でも私の場合、それよりも前に解決すべき問題があった。
「今日は自炊しようとしたけど、おいしいものが作れる気がしない」という感覚だ。
「今日も手抜きだった」という罪悪感の出どころ
自炊したにもかかわらず、「今日も手抜きだった」と感じた経験はないだろうか。
ご飯を炊いて、冷凍の餃子を焼いて、インスタントの味噌汁を作った。立派に自炊しているのに、どこかに「これだけか」という感覚が残る。「もう少しちゃんとしたおかずを作るべきだった」「外食の方がおいしかった」という比較が始まる。
この罪悪感の出どころは、「自炊した日のご飯は、それなりにおいしくあるべきだ」という暗黙の期待値だ。
外食と比べてしまう。レシピ動画の完成品と比べてしまう。昨日よりおいしくなかったと感じる。それが蓄積すると、「今日は自炊する気にならない」という日が増えていく。
「自炊=ちゃんとした料理」という思い込み
自炊のハードルが高い理由のひとつは、「自炊」という言葉が持つイメージの問題だと思っている。
「自炊しよう」と考えると、なぜか「ちゃんとした料理を作らなければならない」という感覚が付いてくる。野菜を切って、調味料を合わせて、火加減を見ながら。そういう一連の作業を想定してしまう。
現実はどうか。帰宅後22時過ぎに、1から料理する体力は残っていないことが多い。
「ちゃんとした料理」を目標にすると、体力のない日は「今日は無理」になる。で、コンビニへ行く。翌日も「ちゃんとした料理」が基準のままなので、また「今日は無理」になる。このループがずっと続く。
自炊のコツを調べると、「簡単なレシピから始めよう」「15分で作れる」といった解決策が出てくる。でも、「簡単なもの」でも「作った割においしくなかった」という体験は起きる。その積み重ねが、「自炊=がっかりすること」というイメージを作っていく。
私がこのループに気づいたのは、わりと遅かった。
自炊を再チャレンジするたびに「今度こそレシピをちゃんと調べてから」「次は週の始めにまとめて食材を買って」とやり方を工夫するのに、また1〜2週間で崩れた。崩れた日に「今日もおいしくなかった」「疲れていて適当なものしか作れなかった」という感覚があった。
「自炊の失敗」として記憶されてしまうから、次の自炊が重くなる。重くなるから踏み出せない。踏み出せないから続かない。
厚生労働省の働く人の食事に関する調査でも、食事に求めるものは「おいしさ」「手軽さ」「コスト」等複数あることが示されている。しかし多くの人が「自炊=おいしいもの」という固定イメージを持ち、それが継続の障壁になっていると考えられる。
「おいしくない=失敗」という方程式を書き換えることが、先に必要だった。
「おいしくなくていい日」を作ると何が変わるか
転機になったのは、「今日はおいしくなくていい」と意識的に決めた日だ。
それまで、おいしくない食事の日には「がんばったのに報われなかった」という感覚があった。でも、最初から「今日はおいしくなくていい日」と設定しておくと、話が変わる。おいしくない→失敗ではなく、おいしくなかったけど予定通り、になる。
期待値を下げたら、やる気が逆に上がった
「おいしくなくていい日」を意識し始めてから2週間ほど経ったとき、自炊の頻度が上がっていることに気づいた。
感覚的には週3回程度だった自炊が、週5〜6回になっていた。「今日は自炊できるか」という問いの基準が変わったからだと思う。
「おいしいものを作れるか」 → YES/NO
「何かを食べられる状態にできるか」 → 大抵YES
後者の問いに変えた結果、「今日は自炊しよう」と踏み出せる日が増えた。
やる気というのは、成功体験が積み重なると高まる。「おいしかった」体験が積み重なるより、「今日も食べられた」体験が積み重なる方が、継続的なやる気につながりやすい。期待値が低ければ、達成感を感じやすくなる。
それと、もう一つ気づいたことがある。「おいしくなくていい日」があると、「おいしいものを食べたい日」のありがたさが増した。週7日すべてを「ちゃんとしたご飯」で埋めようとすると、どこかで力尽きる。でも「燃料補給の日」があることで、週2〜3回の「ちゃんとした日」を大切にするモチベーションが出てきた。
なんだかんだ、メリハリのある方が長く続く。
「食べることの目的」を変えた日
この変化の背景には、「食べることの目的を見直す」という作業があった。
私にとって毎日の食事の目的は何か、と考えたとき、正直なところ3種類ある。
- 生きるための燃料補給
- 気分転換・楽しみ
- 栄養バランスを整える
で、この3つを毎回同時に満たす必要はないということに気づいた。週に何回かは「燃料補給だけ」の日があってもいい。燃料補給の日はおいしくなくていい。楽しみの日は外食やちょっと凝ったものを作る。栄養バランスの日は野菜多めの何かを食べる。
これを分けてから、「自炊しなきゃ」というプレッシャーと「おいしいものを食べたい」という欲求が混在して生み出していたストレスが、かなり減った。
日本では「食育」という観点から、食事をしっかり楽しむことが推奨されている。農林水産省の食育に関する情報でも、食を楽しむことの重要性は繰り返し語られている。それは大事なことだと思う。でも同時に、「楽しめない日」があることも現実だ。全部の食事を「楽しい食体験」にしようとすることが、逆にプレッシャーになっているパターンがあると感じる。
「楽しむ食事」と「食べるだけの食事」を、使い分けていい。それだけのことが、私には長いこと許可できていなかった。

私の「おいしくなくていい日」の実際
具体的にどういう日のどういう食事かというと、以下のような感じだ。
週の何日をどう過ごすか
私の場合、週7日のうち「おいしくなくていい日」は3〜4日ある。
- 月水金:残業リスクが高い日。コンビニ・冷凍食品・外食が基本。おいしさより手軽さ優先
- 火木:少し余裕がある日。簡単なものを作る。おいしくなくていい日に設定することが多い
- 土日のどちらか:ちゃんと作る日。おいしいものを食べる日
「おいしくなくていい日」に作るのは、ご飯を炊いて冷凍の何かを解凍する、卵かけご飯に豆腐を添える、インスタントのうどんを作る、という程度だ。
調理時間は10分以内。品数は1〜2品。味の評価は「食べられた」でOK。
「最低限食べた感」の定義
「おいしくなくていい日」でも、「食べた感がある」ことは大事にしている。
私が決めた「最低限食べた感の基準」:
- 主食(ご飯またはパン)がある
- 何かたんぱく質がある(卵・豆腐・缶詰・冷凍食品)
- 温かいものが1品ある
この3つがあれば、味がイマイチでも「ちゃんと食べた」という感覚が残る。
逆に言うと、この基準を満たさないと「食べた感がない」まま翌日を迎えることになる。翌朝の気分が違う。「食べた感がない夜」は、翌朝なんとなくダルいことが多い気がする。
コンビニを選ぶ日も、「主食・たんぱく質・温かいもの」を意識して選ぶようにしている。おにぎりだけ、というのはこの基準を満たさない。おにぎり+ゆで卵+おでん(温め)なら満たす。たったこれだけだが、夜の満足感が変わる。
「最低限食べた感の基準」を持っておくことで、「おいしくなくていい日」が「何でもいい日」にならない。質を下げる、ではなく「今日は燃料補給のための食事をした」という意識に変える。この違いは意外と大きい。
「何でもいい」と思って食べると、翌朝「昨日何食べたっけ」みたいな記憶の薄さが残る。「主食・たんぱく質・温かいもの」を揃えた上で食べると、簡素でも「食べた」という実感がある。記憶の薄さは、満足感の薄さに比例するらしい。
期待値を下げるための具体的な考え方
「おいしくなくていい」という考え方は、最初はなんとなく負けを認める感じがして、受け入れにくかった。でも、使い続けてみると、これは「諦め」ではなく「目的の明確化」だとわかってきた。
「おいしくなくていい」と「何でもいい」は違う。「おいしくなくていい」は、この食事の目的を「燃料補給」に設定することだ。目的は明確で、その目的は達成できる。「何でもいい」は目的がなく、結果として残念な気持ちが残りやすい。
この違いを意識してから、「おいしくない日」の食事が、ネガティブな体験からニュートラルな体験に変わった。
ご飯の目的を「栄養補給」と「楽しみ」に分ける
毎日のご飯に「栄養も、おいしさも、手軽さも、コストも」すべてを求めると破綻する。
私が採用した分け方:
燃料補給デー(週3〜4日)
- 目的:生きること・次の日動けること
- 基準:主食+たんぱく質+温かいもの
- 味への期待:なし(食べられればOK)
- 調理時間:10分以内
楽しみデー(週2〜3日)
- 目的:食を楽しむ・気分転換
- 基準:自分が食べたいもの
- 味への期待:あり(これが週のハイライト)
- 調理時間:15〜30分、または外食
この分け方をすると、燃料補給デーに「おいしくない」と思っても、それは予定通りだ。おいしさの期待は楽しみデーまで取っておいてある。
楽しみデーがあるからこそ、燃料補給デーの割り切りができる。
実際に週単位でどう機能するかというと、例えば月曜日の夜に冷凍うどんを食べたとする。おいしくはない。でも「燃料補給デー」だから問題ない。むしろ「木曜日は唐揚げでも作ろう」という楽しみが翌日以降にできる。
「今日は手を抜いた」という感覚がなくなり、「今日は予定通り」という感覚になる。たった一語の違いだが、次の日の自炊への抵抗感が変わる。
おいしくない日の基準を決める
「おいしくなくていい」と言っても、何が「おいしくない」かの基準が曖昧だと判断が難しい。
私の「おいしくない日の基準」は「作ることに15分以上かけない」「評価を気にしない」の2つ。
作ることに15分以上かけない:それ以上かける場合、自然と「ちゃんとおいしくしよう」という気持ちが入る。15分以内という制約が、おいしさへの期待値を自動的に下げる。
評価を気にしない:「今日の夕食、どうだったか」を自己採点しない。食べた。終わり。次の日に持ち越さない。
この2つだけでも、「おいしくなくていい日」の運用がぐっとラクになる。
LIONの調査(20〜30代206名)では、献立決定が一人暮らしの自炊で最も困る悩みとされている。(Lidea by LION)献立を考える認知コストを、「今日は燃料補給デー→主食+たんぱく質+温かいもの」と自動決定することで大幅に削減できる。
「燃料補給デーは献立を考えない」と決めておくと、思考停止が許可される。思考停止の許可は、疲れた日の自炊の大きな障壁を取り除く。「何作ろう」と考え始めた瞬間に「もう無理」となる日が多かったが、「今日は冷凍食品でいい」と決まっていれば考えなくて済む。
自炊継続の最大の敵は、疲れた夜の「考えること」だと思う。
「おいしくなくていい日」の失敗パターンと対処
「おいしくなくていい日」という考え方を導入してから、うまくいかなかった日も当然あった。失敗パターンを振り返ると、主に2種類に絞られる。
失敗パターン1:「おいしくなくていい日」が全日になる
燃料補給デーと楽しみデーを分けたはずなのに、気がつくと週7日すべてが「燃料補給デー」になっていた時期がある。それが続くと、食べることへの意欲が下がってくる。「楽しみデー」をちゃんと守ることが、「おいしくなくていい日」の維持に必要だとわかった。
意識的に「今週の楽しみデーはいつにするか」を決めておくようにした。決めていないと後回しになり、気づいたら週末も燃料補給になっていた。カレンダーに「今日は好きなもの食べる日」と書いておくだけで、かなり変わった。
失敗パターン2:「おいしくなくていい」が「食べなくていい」になる
疲れている日に「今日は燃料補給でいいか」と思っても、その燃料補給すら面倒に感じて結局食べない、という日が出てきた。これは「おいしくなくていい」の範囲を超えていて、単純に体に悪い。
このパターンへの対処は、「主食だけでも食べる」という最低ラインをさらに引き下げることだった。卵かけご飯すら面倒な日は、ご飯に何かをかけるだけでいい。納豆でもふりかけでも、「ご飯を食べた」事実があればその日は問題ない。最低ラインをゼロにしない、という意識だけで乗り越えられる日が多かった。
どちらの失敗も、「おいしくなくていい日」の設計の問題ではなく、「楽しみデーを守らなかった」か「食べること自体を諦めた」かのどちらかだった。この区別を持っておくと、失敗したときに原因がわかりやすくなる。

まとめ:「おいしくなくていい日」を肯定することの意味
自炊のハードルが下がらない根本は、技術でも時間でもなく、「食への期待値」だった。
「自炊したらある程度おいしいものが食べられるはず」という期待が、できなかった日の罪悪感を生む。その罪悪感が、翌日の自炊への抵抗を生む。
「おいしくなくていい日」を意図的に設定することは、諦めではなく設計だ。燃料補給デーとして割り切ることで、簡単な食事が「できた」に変わる。その積み重ねが、自炊継続の基盤になる。
自炊のハードルを下げる方法は、もっと簡単なレシピを覚えることではなかった。食への期待値をコントロールすることだった。
「おいしくなくていい日」の効果を実感するまでの時間軸
最初の3日間は、少し落ち着かない感じがした。「今日はおいしくなくていい」と決めて冷凍うどんを食べても、食べ終わったあとに「本当にこれでよかったのか」という気持ちが浮かんだ。長年の「ちゃんと作らないといけない」という思い込みは、そう簡単には消えない。
1週間経つと、その感覚が薄れてきた。「おいしくなくていい日」に食べた食事を、翌日に引きずらなくなった。翌朝、「昨日の夕食はまあこんなもんでよかった」と自然に思えるようになった。
2週間後、自炊の頻度が変わっていることに気づいた。週に3〜4回だったのが、気がつくと5〜6回になっていた。「今日は自炊できそうか」という自問に対して、「まあ何か食べられるものを作ればいいだけだし」という感覚で動けるようになっていた。
この変化は、気合いで頑張った結果ではない。期待値が変わったことで、参加のハードルが下がった結果だ。「おいしいものを作る日」を特別に位置づけたことで、「今日はその日じゃない」と割り切る余地ができた。
1ヶ月後には、自炊が「しなきゃいけないこと」から「してもいいこと」に変わっていた。これが一番の変化だと思っている。義務感は長続きしない。でも選択肢として自炊を選べるようになると、自然と頻度が安定する。
この考え方が向いている人
「おいしくなくていい日」という発想は、以下のような人に特に向いていると思う。
- 自炊を試みるたびに「また続かなかった」を繰り返している
- 料理した日に「これだけか」という感覚が残ることがある
- 疲れた日に「今日は何も作りたくない」でコンビニへ行き、翌日後悔する
- 「自炊=ちゃんと作らないといけない」と感じている
逆に、料理が趣味で毎日の食事を楽しんでいる人には不要な考え方かもしれない。この発想は、食事に義務感を感じている人向けのものだ。
一人暮らしで自炊を続けることは、毎日おいしいものを作り続けることではない。毎日自分が食べられる状態を確保することだ。「おいしくない日」があっても、食べた。それで十分だと思えるようになったとき、自炊が持続可能な習慣になった。
「今日はおいしくなくていい」という言葉が、いつの間にか自分の食生活の基礎になっている。おいしい日は楽しい。おいしくない日は燃料補給。それだけで、食べることが義務から少し自由になった気がする。
今日、帰宅後に卵かけご飯を食べたとして、「これでいい」と思えるかどうか。それが、自炊を続けるかどうかの分岐点だった。「おいしくなくていい日」を自分に許可することが、結局一番長続きする自炊習慣の始まりだと思う。
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